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2011年12月10日(金)   <<BACK>>

回顧録―(2)

 わたしは夢を見てもすぐ忘れる方である。
 たった一日間でもさまざまな出来事がある。印象に残ることもあり、ストレスを感じることもある。晩、寝ていて脳はそのバランスを保とうと、エネルギーを発散する。それが夢として表れるのだと解釈している。だから気持ち悪い夢、怖い夢を見ても、脳はその必要性があって行なったというように思っている。
 そういうわたしであるが、それでも20年に一回位は、鮮明に覚えている夢がある。
 まだ小学校の四年か五年の時だと思う。自分の臨終の場面を見た。お坊さんでかなり高齢であったようだ。顔は今のわたしより細い。天井近くから自分を見つめていたが、やがて欄間の木目に沿うように移動しさらに上がって行った。
 わたしの臨終の言葉は「正しきを行え」である。フトンの脇に坐っている弟子にそう言ったのだ。目覚めてからも臨終の様子と、その言葉ははっきりと覚えていた。しかし「正しきを行えとは?」。この言葉の意味に苦しんだ。どうすることが正しいのか、いまいちピンと来なかったのだ。朝はちゃんと自分で起きて、学校の用意をして遅刻しないようにする。人に嘘はつかない等々。まあ、親や先生が言っているこのようなことが、「正しきを行う」ということなのか。それが死ぬ時の言葉なのか。いまいちしっくりと来なかった。
 それがわかり始めたのは、つい数年ほど前のことであった。夢を見てから既に半世紀は経っている。
 「正しきを行う」とは「善悪の彼岸に至る道を歩む」ことである。
 善といわれる道を歩むことではない。もちろん悪といわれる道を歩むことでもない。善か悪かという二元を乗り超えることだ。当然ながら、善と悪の二元がないところにはその中間もない。
(西洋的ロジックではこうもいかない。論者の自我がそのまま論に反映されるからだ。この自己矛盾を治す薬は、強い自己主張から離れること。それしかない。)

12月3日は母の一周忌の法要があった。昼食は「割烹魚吟どい」で行なった。女性軍にもゆっくりして欲しいからである。
Nov.4,2011,in Kobe
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